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Minato Unesco Association

スロベニアのカルスト地方 ―歴史・食文化と日本との関係

2018年度第1回国際理解講演会

スロベニアのカルスト地方 ―歴史・食文化と日本との関係

講師:ボシティアン・ベルタラニチュ氏(スロベニア)
   城西大学 現代政策学部准教授 城西中欧研究所

日時:2018年9月27日(木)18:30~20:30
会場:港区生涯学習センター305号室

講師紹介は、当協会の永野会長に紹介頂き、40年前にユーゴスラビア(現スロベニア)から、オーストリアに行かれた時、ビザ無しで通過出来たその国は、森と湖がとても素晴らしいところで有ったと言う。今回の港ユネスコでの講演は、奧村副会長が成人教室で、城西大学のボシティアン・ベルタラニチュ先生(Dr.Bostjan BERTALANIC.PhD)の講義を受け、港ユネスコの講演会に繋がりました。

講師プロフィールと自己紹介
スロベニア生まれ、リュブリャナ大学「日本研究科」専攻は国際関係論、第一次世界大戦以降バルカン半島国境問題に対する日本外交研究など。2012年東京大学政治学博士号取得。スロベニアは、日本の四国ほどの大きさで、人口は、200万人、ダイバーシティで文化的にも優れている。イタリア近くのカルスト地方クロスの生まれの私は、子供の頃から日本に関心は有った。高校卒業の時、「警察」か「大学」に行くか悩んでいたが、外国語に優れていたので国公立大学のリュブリャナ大学「日本語と日本史」を専攻し、人気がまだ少なかった言語を選んだ。奨学金を貰い、筑波大学の「日本史」を勉強し、長年日本に住まわれ、二十歳の成人式も日本で迎えた。スロベニアに帰国後、スロベニアの大学は4年目には、研究した卒業論文を書く義務が有るが、日本の大学は論文を書かない事も有る。再び、奨学金の話に恵まれ、その時軍隊を逃れられた。スロベニアの軍隊制度は、一年間、勉強や研究、美術等の勉強をしている学生は、一年間病院等の活動をする場合、特別に免除される制度があった。スロベニア軍がいまプロフェッショナル化されたので、この制度はもうなくなりました。2012年東京大学にて、政治学博士号を取得し、2014年城西大学に就職しました。城西大学には東ヨーロッパ城西大学中欧研究所が有り、そこに所属している。其の間にも一橋大学法学部にて大学院生を教えた。

講演内容の要約:
風光明媚なスロベニアの中で、もっとも個性溢れる地方がカルスト(石灰岩の台地)地方でしょう。この地方は石灰岩で出来ているので地形的に興味深いだけでなく、スロベニアとイタリアを結ぶ特別な文化的地域でもあります。この講座では、カルスト地方の歴史、食文化、ワインなどを紹介して頂いた。

Ⅰ.カルスト台地
カルスト大地は石灰岩で形成されている。カルスト現象は世界中に有るが、スロベニアのカルストは世界初で有った。カルスト地形には様々な形状が有り、日本の小学校教科書にもスロベニア語でホーリエ:「畑」と書かれている。Kras(クラス)はカルストの原語で有り、「水が溢れる処、川が溢れる処」と言われ、水と石の間に生まれた。と言う意味であった。スロベニアのカルスト地方の昔は、樫の樹木が多く緑の国であったが、14世紀から16世紀頃イタリア、オーストリアなどの国々の建築用の木材とするために、山の木は全て伐採され、カルストでは「イタリアのベニスはカルスト木材の上に立っている」と言われている。他の国も鉄道の枕木として使った。カルスト台地は伐採され砂漠化し、石だけの荒涼とした台地に成り、当時の記録ではここを通った人々は地獄の様だととても悲しんだ。19世紀末にオーストリア、ハンガリーの貴族が何かを植えようと植樹を始めた、其の木は、黒松で有った。黒松は生命力が強く、砂漠でも根付くと言われる程で、UNESCOによるドキュメントが制作され、現地の人々と植樹(黒松)のプロジェクトが1860年代に始まった。現在は、スロベニア大使館での国のプロモーションでは、「スロベニアは中央ヨーロッパの緑の宝物」と言われている。

Ⅱ.ポストイナ鍾乳洞(PostojnskaJama)
ポストイナ鍾乳洞は1818年オーストリア皇太子のフェルディナント一世の訪問に備えていた際に地元のカル・チェチによって発見され、ヨーロッパ最大級の規模だという。鍾乳洞の中は気温が8度~10度程で、洞窟内はとても涼しく、素晴らしい鍾乳石も広さも有り、ポストイナ鍾乳洞は、24㎞も広さが有るが見学コースは5㎞程になる。洞窟内はトロッコ電車に乗り見学する。洞窟内には、コンサートホールやダンスホール等も有り、とてもユニークな鍾乳洞です。トロッコ電車を降りて少し歩くと谷に掛かる橋がある、第一次世界大戦中、ロシア人捕虜によって建設された「RussianBridge」(ロシア橋)がある。又、洞窟内には数種類の特長的な鍾乳石など見学出来、最後にポストイナ鍾乳洞のシンボルにも成っている、白い鍾乳石は「Briljant」(ブリリアント)と呼ば
れている。

*ホライモリ(ProteusAnguinus)
洞窟内には貴重な生き物も生息している、それは日本名で「ホライモリ」、英語名では「プロテウス」と言う。目は退化し、体長は20㎝~30㎝で体の色は白く、白人の肌に似ている事から“人間の魚”を意味するスロベニア語「チュロベシュカ・リビッア」(?love?karibi?a)魚では無く両生類であり、1689年にヤネス・ヴァイカルト・ヴァルヴァソルが書物には、「ドラゴンの子供(幼体)」と紹介している。ホライモリは、10年に一度しか産卵せず、2016年鍾乳洞の展示水槽の中で産卵をし、話題になったと言う。

*洞窟城(PredjamaGrad)
ポストイナ鍾乳洞から北西に9㎞離れ、高さ123mの切り立った断崖絶壁に建つ12世紀ごろ建った中世の城は、15世紀の城主エラズム・プレッドヤムスキで騎士であったが、金持ちの貴族から財宝を奪い、貧しい民に分け与えていた義賊でもあった。ロビンフットとも言われた。現在は16世紀~19世紀の家具や絵画、当時の生活を再現した人形の展示がされている。

Ⅲ.シュコツィアン鍾乳洞(Skocjanskejame)
ポストイナ鍾乳洞から南西に33㎞のクラス(kras)地方に位置する。この地名が「カルスト」の語源になった。シュコツィアン鍾乳洞は、1986年ユネスコ世界遺産に登録され、1999年には最初の地下湿地帯としてラムサール条約の対象湿地帯に登録された。この地形はブドウ栽培に適しており、栄養度の高いブドウ耕作地となっている。シュコツィアン鍾乳洞の特徴は、スロベニア最大の地下水流であるレカ川が形成した、深さ約100mもの巨大な陥没ドリーネ(doline:すり鉢型の窪地)である。

Ⅳ.リピッツァーナ(Lipizzaner)
16世紀にオーストリアで品種改良によって生まれた軽種馬。白く美しい毛並みが特徴だが、生まれた時は黒やグレー、茶色の毛色で、約7年で徐々に白い毛並みに生え替わって行く。希に成長しても毛色が変わらず黒や茶色のままの場合もある。リピッツァの白馬はハプスブルク帝国の現スロベニア領内にあって、ハプスブルク家は軍用馬の開発に取り組んでいる過程において、統治下のスペインからアラブ種であるアンダルシア馬を取り寄せ、地元のカルスト馬と掛け合わせ、地名に因んでこの牧場に育つ午をリピッツァーナと呼び18世紀半ば頃まで重宝した。白く美しい毛並みが特徴のこの馬は、二度の大戦中の疎開を経て、現在ではオーストリアで飼育されているが、原産地リピッツァでも牧場が残され当時の技術が大事に伝えられている。他の馬に比べ比較的寿命が長
く、平均寿命は約30年(人間換算では120歳)まで生きる馬も居る。現在の最長馬は32歳。

Ⅴ.食・文化・教育
*食・文化:スロベニアは北部にアルプス(ジュリアン・アルプス)南西部にアドリア海を抱き、山川湖、平野と海、カルストから鍾乳洞まで、多種多様な自然に富む国で、日本と似ている立地も感じられる。アドリア海からの「ボラ」と呼ばれる強い風は、カルスト台地の上まで吹く事で、その強風によって土壌と恵まれた環境により、上質な「ワイン」や「トリュフ」、「プロシュート」など質の高い農産品等が生産される。カルスト地方の夏はとても暑いので、スロベニアの家は殆ど地下室が有り、夏は涼しくて美味しいものを食べながら、ワインを飲む習慣があり、主に男達が楽しむ場所でも有る。

*ワイン:
Teran(イタリア語)と呼ばれ、カルストの赤い地[Terra(土)、rossa(赤い)]を象徴するカルスト独自のワインで、家に訪れた人はそこのワインを飲まなくてはいけない、ワインを売って貰うには、大事に飲んで欲しいので、質問攻めに遭う事もあるそうだ。又、8月には、プロシュートとワインのお祭りがあり、その年の政治の風刺や話題を載せる山車の車が出る。

*詩人:
スロベニア・中央ヨーロッパでは代表的な詩人スレチェコ・コソベル氏。22歳の若き生涯の中で、母思いの詩人で有り、数学者でもあった彼の詩は、カルストの「松」が大きな存在であった。人生の中で社会の情勢も詩の中に書いていた。

*小さなスポーツ大国スロベニア:
1912年、ストックホルム五輪では、フェンシングの選手(ルドルフ・ツエトコ)が金メダルを取り2012年ロンドン五輪では、トゥルステニャク選手が柔道女子63キロ級で金メダルを獲得している。1964年東京オリンピックの体操(鞍馬)でミロスラウ・ツェラル選手(スロベニア現首相の父親)が、金メダルを獲得し、現在はスロベニア・日本ビジネス協会で2020年東京オリンピックに向けた両国間ビジネスに参加している。

*教育:
スロベニアの外国語能力は極めて高く、旧ユーゴスラビアの時代からロシア語と並んで英語教育に力を入れてきた事から、特に50歳以下の人達の英語能力は特筆なもので有る。又、スロベニアの国公立大学4校(リュブリャナ大学、マリボル大学、ノヴァ・ゴリツァ大学、プリモルスカ大学)等とは、日本の大学22校が大学間交流協定を締結している。その外筑波大研究センターが協力を模索している。

【質疑・応答】
Q1)蜂蜜が有名だがスロベニアの養蜂は?
A)養蜂はカルスト台地の立地に適し、講師の地元では古くから養蜂は盛んで永い歴史を有し、蜂蜜文化として大事にされている。父の友人はかつて毎年200?位採取出来たが、最近では様々な病気や農薬によって蜂が減少しているとのこと。

Q2)ITやハイテクは国策か、それともエンジニアリングの大学の協力が有るのか?
A)教育はとても高いレベルだが、ハンガリーやポーランドの国々から比べると、スロベニアは海外からの投資や産業などを受け入れなかった。最近は日本のロボット産業が入って来ており、スロベニア人はドイツ文化の影響もあり、仕事に関する価値観が日本人と似ているのでまじめである。

Q3)原語に関してオリンピック選手が話す時の言語は?
A)講師の祖父は(85歳)海外に一度も行った事は無いが五カ国語が話せる、それは国境が常に変わっていった為、多国語のドイツ語、ロシア語、イタリア語、スエーデン語、スロベニア語が話せる様に成った。スロベニア周辺国は、どの国に行くときでもスロベニアを通らなければ行けないからだ。役所などはドイツ語を使用する。又、宗教を通じて牧師はスロベニア語で話をしたが、スロベニア人はアイデンティティを守る為周辺の言語を話す事しか出来なかった。ドイツ語、フランス語、イタリア語、中国語、英語、日本語などを勉強する。

Q4)講師の所属している中欧研究所とは主にどんな研究?
A)東ヨーロッパ城西大学中欧研究所には5人の研究者が居て、講師は「スロベニアと日本外交問題」等の国際外交の研究、日本人の研究者も居り、「バルカン半島情勢」の研究、等国際問題や情勢、その他の研究をしている。
最近は学生の交流を重んじていている。

Q5)スロベニアと日本の関係は?
A)日本とスロベニアは文化と教育の面が進んで居て、リュブリャナ大学と筑波大学との繋がり研究科」の先生は全て日本人の先生で最近は、イタリアや南クロアチアからも学生が来るという。スロベニアはスポーツに関しても、長野オリンピックではスキージャンプで活躍したが、コーチもスロベニアで有った。日本文化の関心が強く日本大使館との交流もある。スロベニアはウインタースポーツも強化している。

Q6)旧ユーゴスラビアと聞くと暗いイメージであるが現在のスロベニアは?
A)1991年頃、旧ユーゴスラビアは共産主義で全ての病院、学校、等の公共的な処は全て無料であった。その為50歳から60歳位の多数の人々にとっては、其の時代が良かったとの思い出が強いが、90年チトー大統領は上手く国を纏めていたが亡くなってから、ナショナリズムやパワーが無くなった。民族的争いが有った。90年代スロベニアは独立をしてから早めにヨーロッパの民主主義を目指した。国としては落ち着いていたので「バルカン半島のスイス」と言われていた。

【講演の感想】
国土が小さな国では有るが、自然豊かな特色の多い文化を持った大国に感じた。音楽と映像が融合したプレゼンは、スロベニアへ小旅行をした気分になり、上空からのカルスト台地はとても素晴らしく機会があれば訪れて見たいと思います。未知の国の講演はとても勉強になり、日本との文化交流が盛んで有る事も知り、国と国の距離感を身近に感じました。素晴らしい講演有り難う御座いました。