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Minato Unesco Association

危機のユネスコ世界遺産

2018年度港ユネスコ協会シンポジウム

危機のユネスコ世界遺産

日時:2018年6月8日(金曜日)午後6時半~8時半
場所:港区立生涯学習センター305号室

今回のシンポジウムは港ユネスコ協会理事であり、何度も当協会で講演をしていただいている東郷和彦⽒から、五⼗嵐敬喜⽒が「世界遺産ユネスコ精神」という著書を出版されたので、当協会で取り上げてはどうか、というご提案を頂いたことから企画されました。著者の五⼗嵐敬喜⽒に基調講演をお願いしたところご快諾頂けたので、本書の編著者である佐藤弘弥⽒と東郷⽒にパネリストをお引き受け頂いて、本シンポジウムを開催する運びとなりました。登壇者3名のご略歴は以下のとおりです。

基調講演者:五⼗嵐敬喜⽒
法政⼤学名誉教授、⽇本景観学会前会⻑、弁護⼠、元内閣官房参与。「美しい都市」をキーワードに住⺠本位の都市計画の在り⽅を提唱。平泉、熊野古道、⻑崎隠れキリシタンなど世界遺産登録にも尽⼒。

パネリスト:東郷和彦⽒
京都産業⼤学世界問題研究所⻑。港ユネスコ協会理事。元在オランダ全権⼤使。

パネリスト:佐藤弘弥⽒
フォトジャーナリスト、⽇本⽂化研究家。「平泉を世界遺産にする会」の運動を展開。

モデレータ:永野博港ユネスコ協会会⻑

以下に3名の講演・ご意⾒・討議および参加者との質疑応答の内容の要約を記します:

五⼗嵐敬喜⽒:私のキャリアの最初は弁護⼠だが、⼤学卒業当時は全学ストライキなどあり、混沌としていた。司法試験に合格して、弁護⼠として働き始めた頃、⼩学校の隣にボーリング場が出来るという問題について近隣住⺠から相談を受け、初めて建築基準法を勉強した。⽇本の建築基準法には「原則、建築は⾃由」と⾔う⼤きな⽋点があると分かり、これを変えないと良い街は作れないと理解した。1970年代に⼊ると、いわゆる⾼度経済成⻑の波に乗り、東京にもどんどんマンションが増えるようになり、ボーリング場問題に引き続き、建築公害対策市⺠連合というのを作り⽇照権問題に取り組んだが、爆発的に事件が増え、個別処理では対応できなくなってきた。爆発の根底に「建築⾃由の原則」があり、これを擁護する建築基準法や、この問題に疑問を抱かない「建築家」、さらには「建築の本質とは何だろうか」というような原則的な問題を考えるようになった。⻑い時間をかけて市⺠の基⾦をもとに建築を作り続けるスペイン、バルセロナの「ガウディ聖教会」を⾒に⾏ったり、友⼈の学校作りを⼿伝う中で⽶国バークレー⼤学のクリストファー・アレクサンダー⽒を招いた。彼は⽇本でも「パターンランゲージ」を提唱した建築家として知られ、実際に埼⽟県⼊間市で東野⾼等学校を設計・建築した。

しかし当時は年間100万棟も建物が建つ時代。全国に開発の波が押し寄せ、神奈川県の真鶴町という⼩さな町にも数⼗棟のマンションが計画された。困った町⻑は都市計画学会にこの問題の対処⽅法を相談し、都市計画学会は、この問題は法律と建築・都市計画の双⽅が分かってる⼈でないと対処出来ない、として私を紹介し、それが私と真鶴町の出会いとなった。様々な討議の結果、乱開発を阻⽌し、美しい町を作るための「美の条例」を作った。この中の「建築の基準」は、その後、⽇本だけでなく世界的にも紹介されるようになったが、それでも真実、何をもって美しいというのか?という疑問は解けなかった。迷いの最中、「世界遺産」というものがあるのを知り、これは「美しい」というものの「客観的基準」になると思い、調べてみたら当時実は世界遺産に登録されたものの、7~8割は信仰に関するものであるということが解った。信仰が分からなければ美の本質はわからない。そこで⼤学の休暇を利⽤して、当時世界遺産に登録されたばかりの⾼野⼭に⾏き、⾼野⼭⼤学の学⽣として1年間過ごした。宗教⺠俗学の⼤家であり、かつ当時⾼野⼭奥の院で「唯那」職を務めていた⽇野⻄真定僧侶からはとりわけ真⾔密教の「秘密」にかかわる貴重な教えを頂いた。その意味で収穫が⼤きかったのであるが、同時に美に関する「危機」も肌⾝で知らされた。美は⾼野⼭では、信仰・宗教というものから構築されているのはもちろんだが、住⺠がいなければ維持できない。

しかし⾼野⼭でも、少⼦⾼齢化で市⺠不在状態になるという事態が現実化しつつあった。そこで⾼野⼭からユネスコで活躍されていた東⼤⻄村教授に呼びかけ、市⺠による「私たちの世界遺産」を⽴ち上げた。⾼野⼭での第1回⽬⼤会にはかのアレックス・カー⽒も来てくれて⼤いに盛り上がった。そして途中から、皆さんもご存知のユネスコ事務局⻑の松浦⽒、⽂化功労者の岩槻教授も加わって下さり、「逞い⽂化を創る会」(代表松浦晃⼀郎)を⽴ち上げた。これが私とユネスコ世界遺産との関わりの歴史である。

ユネスコの誕⽣は戦争と深い関係がある。周知のように2つの⼤戦の反省から国際連合とユネスコが⽣まれた。ユネスコは多彩な活動を⾏っているが、そのなかで最も知られているのが世界遺産。これが現在かつてない危機に晒されている。その第⼀は、政治の介⼊である。「ユネスコは政治的に偏向している」と主張する⽶国の脱退により巨額の分担⾦が⽀払われず、ユネスコの財源は⼤ピンチ。また記憶遺産については慰安婦問題、南京事件という政治的問題が緊張を招いた。この問題の解決に対して⽇本政府は不満を表明してアメリカに引き続き、⽇本も分担⾦を⽀払わないというような脅しをかけた。さらに韓国・徴⽤⼯問題も控えている。すでに世界遺産に登録された富⼠⼭についても、そこに平和と正反対の位置にある⾃衛隊演習場が存在するのは、いかがなものかという疑問も提出されている。そこで「世界遺産と平和」の問題をもう少し深く掘り下げたいと思い、今⽇は共同執筆者として後でスピーチしてもらう佐藤弘弥君と、平泉、鎌倉、お遍路について考察した「世界遺産ユネスコ精神平泉・鎌倉・四国遍路」(公⼈の友社)という本をまとめた。中でも特筆すべきは、平泉の「供養願⽂」であり、これはユネスコ憲章の精神と⾒事に合致する。鎌倉は残念ながら世界遺産に登録されなかったが、「武家の都」とのプレゼンがまずかったのかもしれない。源頼朝は平泉の供養願⽂を継承して「平和の都」を構想していた、という部分をもっと強調したらどうだろうか。四国のお遍路さんの「お接待」は、世界にも例を⾒ない⾵習であり、これは、宗教(お⼤師様)は、誰に対しても平等であり、差別がないということを庶⺠レベルで受け継いでいる、⾮常に独特な⽇本の⽂化であると考えなければならない。
他の問題として「観光災害」「開発」を考えなければならない。例えば⻄表島の住⺠4割が世界遺産になると観光客が増え「平穏な⽇常が乱される」と世界遺産登録に反対。京都の下賀茂神社のバッファーゾーンの⼀部に「マンションを建てる」という問題は、世界遺産を傷つけるという意味では好ましいことではないが、しかしそれは「遷宮という儀式」の資⾦確保のため、と⾔われるように単に「保存しろ」と主張するだけでは解決できない問題を抱えている。こうした問題については今後、観光料など参拝者の「受益者負担」なども考える必要がある。

さらに世界遺産の対象物件がだんだんに少なくなっている、というような問題もある。普遍的価値がある、公開出来る、本物で完全なのものである、などの世界遺産の登録条件を満たし、かつインパクトのある平和と直結する、対象物件は⽇本だけでなく、世界的にも先細りになっているのではないか?
しかし私は平和は永遠のものでなければならず、その課題もしたがって永遠なものだと考えている。ぜひ皆さんにも世界遺産を平和と結びつけて考え、かつ普及していただけるようお願いしたいと思います。

東郷和彦⽒:建築基準法の「建築⾃由」に問題があると20代で看破された五⼗嵐先⽣はすごいと思う。戦後⽇本は「⾐⾷住」のうち、「⾐⾷」は⼀流に発展してきたが、「住」がどうにも貧しい。私は静岡県の対外関係補佐官を2011年から務めている。静岡県の川勝知事から声が掛かったとき、何故私が選ばれたのか分からず、川勝知事の著作を読み、「富国有徳」という概念を提唱されていることを知った。本当の豊かさを考えるとき、「住」が出てくる。私はこの豊かな「住」を「⽂化的景観」と呼んでいいのではと思う。「⾃然」「伝統と⽂化」を⼀緒にした調和ある住空間を作れないか?これを作るのは結局⼈間なので、⼈間の⼼に豊かさ、思いやり、皆で⼀緒に作っていくという精神があって初めて「富国有徳」が実現される。この知事の考えが素晴らしいと思い、ともに仕事がしたいと馳せ参じて今⽇に⾄っている。

静岡県には⼆つの世界遺産(富⼠⼭と韮⼭の反射炉)がある。川勝知事はさらに、県内の世界クラスの資源・⼈材群リストを作り、現在73個がリストアップされている。今⽇お話ししたい三島は、世界⽔遺産、世界灌漑施設遺産とされている。三島を視察して驚いた。美しい⽔を湛える源兵衛川の両岸に樹⽊が並ぶ。私は外務省時代にヨーロッパ暮しが⻑く、オランダやベニスが如何に⽔を都市景観に取り⼊れているかを⾒てきた。ここは東洋のベニス、東洋のアムステルダムになるな、と思った。ところが⼀昨年あたりから異変が起きた。市⻑が「三島駅の南⼝スペースに⾼さ100メートルの⾼層マンションを建てる」プロジェクトを進めている。これに反対する市⺠グループを私もサポートしているが、⾏政による不⼗分な情報開⽰などもあり、⾒通しは不透明である。⽇本の⽂化的景観を守りながら、街づくりを進めるにはどうするのがよいか?皆さんの知恵を借りたい。

佐藤弘弥⽒:昨年韓国を訪れて⾯⽩い経験をした。⽇本を発つときは「戦争がいつ始まってもおかしくない」と感じていたが、韓国の⼈たちにはそのような危機意識は全くなかったため、「戦争は⼈の⼼の中から始まる」というユネスコ憲章を思い起こした。

第⼀次⼤戦では2,600万⼈、第⼆次⼤戦では5,355万⼈の犠牲者が出たと⾔われる。「ひとはなぜ戦争をするのか」(講談社学術⽂庫)によると、天才的物理学者アインシュタインは⼼理学者フロイトに公開質問状を出した:「⼈間を戦争と⾔うくびきから解き放つことはできるのか?」(P16)結果として戦争を避けることは出来なかったわけだが、フロイトは「⽂化の発展を促せば、戦争の終焉へ向けて歩みだすことが出来る」(P55)と答えた。前述の本を詳しく読んで頂きたい。第⼀次戦⼤戦によってPTSD患者が増加したことにより、精神医学が⼤きく発達した。私は若い頃から「⼈類は何故ナチズムの台頭を許したのか?」との疑問を持っていた。とりあえず⼀番納得のいく答えを与えてくれたのがスイスの⼼理学者カール・Gユングのナチズム台頭への⾒解:「すでに1918年にドイツ⼈の患者の無意識のなかに、彼らの個⼈的⼼理とは違う独特の障害があることに気づいていた。」(C.G.ユング「現在と未来」P116)

世界遺産は美しいものを残すだけでなく、負の遺産も残す。カンボジアの虐殺のあった場所、原爆が初めて落とされた広島、もちろんアウシュビッツもそうだが、⼈類が惨禍を忘れないためのものだ。
五⼗嵐先⽣と共に20年近く平泉に関わる中で、戦争がいかに⼈の⼼をつぶし、⽂化をつぶすかを⾒てきた。それでも平泉は⼀度も滅びなかった。カンボジアのアンコールワット、インドネシアのボロブドゥール、ミャンマーのバガンはどれも東南アジアの遺跡だが、⼀度滅びて後の世に発⾒されたもの。だからドナルド・キーンは「平泉は⼀度も死ななかった」と⾔っている。これが⽇本⽂化の特徴だと思う。当時の平泉は⼈⼝5万〜10万を擁する、京都に次ぐ⽇本第2の都市だった。源頼朝により滅ぼされなかったのは、宗教が機能していた故である。この精神は鎌倉に受け継がれ、さらに四国遍路のお接待⽂化にも息づく。世界遺産の精神を検証しながら、四国遍路を是⾮世界遺産に登録して頂きたいと願う。

パネリストとの議論

永野:世界遺産というとどうしても観光と結び付けがちだが、ユネスコ精神との関係でどう考えたら良いか?
五⼗嵐:従来の世界遺産についての「普遍的な価値」の説明はちょっと、珍しいもの、貴重なものというような感じで、それが⽇常的に平和の問題とがかかわりがあるのだという説明は少し弱かったかもしれない。⼦供にも分かるようなやり⽅で世界遺産と平和との関係を説くよう⼯夫したい。
永野:東郷さんは三島の話をされたが、以前関わっておられた泉岳寺の話ともからめてコメントを。
東郷:2015年、泉岳寺の隣に8階建てのアパートを建てる計画が持ち上がり、調和的雰囲気が壊されると懸念して半年間ほど反対運動した。現在、もうアパートは建っている。東京都は品川駅・⾼輪⼝からの⼀帯の再開発を進めている。ディベロッパーが⻑期的視野や⾃然・⽂化の美を考えるセンスを持って調和ある景観を作ってくれることを願う。

五⼗嵐:泉岳寺は忠⾂蔵で有名、この物語は武⼠道の象徴である。武⼠道を世界に紹介したのが新渡⼾稲造博⼠であり、博⼠は国際連盟事務次⻑としてユネスコの創建と世界平和に貢献した。⻄欧では「道」は単なる交通だが、⽇本では単なる道プラス「武⼠道」「茶道」「武道」など精神を表している。この新渡⼾博⼠の業績は世界遺産の領域でももっともっと⾼く評価されてよいのではないか。
永野:佐藤さんはユングのナチズム台頭への⾒解を紹介されたが、その「独特の障害」は当時のみ存在したのか、それとも今でもあるのか?
佐藤:ユングは「集合的無意識」と呼ぶ。現在の⽇本においてもこの種の無意識はあると思う。過去に引き起こした惨禍を忘れず、常に危機感を持つ必要がある。

フロアとの質疑応答

Q:リニア建設のためにある地域の地下⽔脈が枯渇したとのニュースを聞いた。開発の負の側⾯を認識し明⽂化して教訓とすることは可能か?
A:東⽇本⼤震災で被害を受けた海岸線に⾼い防波堤を建設しているが、地下⽔の海への還流を妨げる可能性がある。
「⼭は海の恋⼈」という知⾒が⽣かされていない。三島でも、富⼠⼭から流れる地下⽔を⾼層ビルの深い基礎⼯事部分が遮るのでは、という議論があるが、建設に⻭⽌めがかからない。

Q:⼈間の住む街は樹⽊で隠れる程度の⾼さでなければならない、低層⾼密度の住宅にすべきという提⾔もある。そのあたりの議論を踏まえてもう⼀度三島を考えてもらいたい。
A:泉岳寺の話とからめて報告しますと、品川駅から泉岳寺周辺における地域の再開発については、⾼層ビルを⼀か所に集めて低層ビルのみの地区を創出する都市計画が、決定の⼿前まで来ている。

Q:先ほどから美という⾔葉が出ているが、古代の⼈が感じた美と、現代⼈の思う美は同じか?
A:学⽣に同じ質問をすると、9割が違うだろうという意⾒だ。しかし世界遺産の現地に連れて⾏き、実物を⾒た後では、ほとんどの学⽣が意⾒を変える。世界遺産の圧倒的な美と感動は地域と時代を超える。

最後に五⼗嵐⽒が、会場にいらしていた四国遍路の住職の奥さまを紹介されました。「⾜摺岬から来ました。四国お遍路でお会いしましょう」とのご挨拶を頂き、シンポジウムは幕を閉じました。