日本語 English
Minato Unesco Association

怒りと向き合う 原爆の話から私たちの怒りへ

世界を見よう! みなとUNESCOサロン  for SDGs
怒りと向き合う 原爆の話から私たちの怒りへ

講師 : 手塚 千鶴子氏

プロフィール:
1986年ミネソタ大学教育心理学博士号取得。帰国後慶応大学にて日本人と留学生共習の「日本人の心理学」「異文化コミュニケーション」等の授業と、主に留学生のカウンセリングを担当。元日本語•日本文化教育センター教授。地域にも開かれた学外の一軒家での「三田の家」プロジェクトでは、日本人と留学生との交流の場を運営。近著に「原爆をめぐる日本人の語り 怒りの不在の視点から」

日時 : 2023年10月11日(水) 午後6時30分
会場 : 港区立生涯学習センター3階 305室

 「原爆」は重大な問題として文学、マスコミ、博物館等に取り上げられていますが、その「原爆」に対して「日本人の怒りはどこに行ったのだろう」に焦点を当て研究されてこられた手塚千鶴子先生に、「日本人の怒りとの付き合い方を問い直す」をテーマでお話を伺いました。

戦争について私達はどれだけ知っているだろうか。
 アメリカ軍は爆撃機、戦闘機、船などの攻撃力、パイロットの安全性を最優先。エノラ・ゲイ号はその最前線で「超空の要塞」と呼ばれたほどである。ドイツ軍人は「敵を殺せ」と命じられた。それに対して日本軍は「殺すこと以上に死ぬことの大切さ」を強調。日本人の桜への美意識を利用した軍国主義により、兵士達は潔く散ることを求められた。こうした日本軍の戦争実態を見るにその理不尽で無謀な戦争に対し、怒りや抵抗がなぜ起こらなかったのか?この疑問が日本人の怒りや対人葛藤処理のあり方への問いを手塚氏に生じさせたという、こうして講演が始まりました。

日本人の戦争の語り
 原爆投下後まもなく終戦となったこともあり、日本全体では原爆投下の是非を問うことが少なく、「原爆の悲惨な被害の記憶や物語」の方が多いのではないだろうか。また原爆を投下したアメリカの科学と物量に負けたという意識が強く、真の意味での戦争責任と向き合うことが不十分との指摘があるという。又、多くの日本人が「だまされた」との意識が強く、自身どうすべきだったかの考察が欠けているとの指摘も多いという。

外国人が驚く日本人の戦争の語り
 外国人から見ると日本人は大きな抵抗なく戦争に参加したはずなのに、自分たちが行った戦争というより突然降りかかった自然災害のような語りが多いことに驚くという。その語りの内容は個人的体験に話が終始し、戦争の原因や責任など大きなテーマを語る日本人が少ないことも不思議に感じるという。 他方、米国人の真珠湾奇襲ゆえの日本人への憎しみに対比し、米国に向かわなかった日本人の怒りは、原爆という核兵器や、戦争そのものの残虐性に向かい、戦後の反戦平和の流れにつながったとダワー氏が見る。原爆投下を西洋は「虐殺行為」と見定めたが、日本人は「不可抗力、仕方ない」と捉え、戦後の原爆映画には「もののあはれ」の感覚をあてはめたと見る映画評論家もいる。手塚氏は、以上を考察し「当事者意識の欠如、自然災害をはじめ不測の事態は『しかたがない』と受け止めあきらめる日本人の傾向」を見いだす。

戦争博物館での語り
 現在の「広島平和記念館」被爆者の視点からの、被爆の実相展示がメインであり、その中心である「魂の叫び」の展示では、被害の悲惨さが強調され、いたいけな子 供達に焦点を置いている。「怒り、恨み、復讐」の気持は表現されず、「投下責任」の議論もされていない。一方、スペインのゲルニカへの無差別襲撃に接し怒りとともに製作され、世界の反戦運動のシンボルになったピカソの「ゲルニカ」を当日紹介された。

原爆小説の語り
 長岡弘芳氏の「戦後23年、日本文学は原爆被爆当時の骨がらみの国民的無念を投下当事国に真っ向から叩きつけた一遍の戦後作品すら有していない」との言葉を紹介した上で、手塚氏は、「夏の花(原民喜)」「黒い雨(井伏鱒二)」「屍の街(太田洋子)」をはじめ原爆小説全体に「原爆や原爆投下国への直截な怒りは例外を除き少ない。時に怒りは苦しみをもたらした相手でなく自分にも向けられてしまうなど、内向し、屈折している。」と説明された。

原爆の語りにおける怒りの不在の意味・理由
占領時代の社会的・心理的背景
 占領軍は、周到な準備の上で新聞、雑誌、書籍、ラジオ、映画、郵便など広範囲の検閲を日本人8千人を動員して実施したが、メディアからの抵抗や批判はほぼなかった。この検閲のため、原爆惨状の写真の初出は1952年8月6日の「朝日グラフ」とかなりの時間がたってのこと。検閲への抵抗がなかった背景には、戦争が終わり安堵感と虚脱感、生きることに必死な日々、起こってしまったことを思い煩い怒るエネルギーはなく、また占領軍との比較的良好な関係があったのではと、手塚氏は見る。

文化心理学から読み解く「怒りの不在」
 人の心は普遍的だが、どう意味づけられるかは文化による。西洋文化圏では、自己は周りから切り離された存在、自己の欲求、ニーズ、ゴールなど自分らしく実現することが求められる。一方、日本を含む東洋は、自己は関係性の中に組み込まれた存在としてとらえられ、協調的に生きることが求められるという。相互協調的自己観の優勢な日本では「怒りは関係性を壊しかねないと否定的に捉えられ、経験や表現が抑えられがちになる」という。

悲しみを手がかりに怒らない日本人の心理を考える。
 2003年に日本人の怒りを多文化の視点から考えるワークショップを開催された際には、「日本人の怒りには悲しみがはりついている」「日本人は怒りを認めることも気づくことも難しい」と日本人セラピスト達よりコメント頂いたという。また「広く日本社会全体に怒りの否認を見いだしている」ユング派の織田尚生氏の事も紹介された。

西洋のグリム童話「蛙の王様」と日本の昔話「鶴女房」の比較
 誰が約束を破り破られたか、怒りや罰はあるのか、物語の結末はどうなるのかという点で比較すると、二つの昔話には「怒り」の捉え方の違いが見いだされるという。グリム童話に見られる「肯定的意味づけ」に対し、「鶴女房」への女子留学生の興味深い反応を紹介された。約束を破った夫に対し、怒りもせず立ち去っていく鶴女房に異を唱え、「私なら絶対怒る、夫を問いただしよく話をすれば、きっとわかりあえ別れないですむ」という主張である。「日本の昔話においては話の完結に際して聴き手の心に生じてくる悲しみの感情が大切」と河合隼雄氏の論も紹介された。

日本人の悲しみとの親和性
 竹村整一氏は、悲しみは日本文化に親和性が高く、日本人はそれを積極的に享受し、表現してきたとし、加藤周一氏も「かなしみを受け入れそれを楽しみとさえする態度や感情」は、「あわれ」「はかなし」「あきらめ」など多様な言葉で表現されてきたという。それに対し手塚氏は、怒りを率直に表現し、言葉のやりとりを尽くすよりは、悲しく美しい終わりを、無意識的に日本人は大事にするのだろうか?しかし、多様な価値観やバックグランドを持つ人々と共に生きていく多様性の現代にそれでよいのだろうかとの問いを投げかけられた。

日本人の怒りとの付き合い方を問い直す。「はだしのゲン」も参考に
 怒りとは心理学的には、「傷、欠如、フラストレーション」などから生まれる否定的感情と言えるが、それを受け入れ向き合えば自分を明確化し、人としての統合性を促してくれる。怒りは単純に悪いのでなく大事なことを教えてくれるのではないかと説明された。そして、漫画「はだしのゲン」より怒りと本音での対決がゲンと被爆者政二に心を開く理解をもたらしたエピソードを紹介された。

まとめ、私達はどう怒りと向き合っていきたいか
 「怒ろう」という絵本の著者パルマー氏は「ゲンの怒りは自然であり自分を大切にしようとする気持のあらわれ」だとするが、手塚氏は相手に怒りを上手く伝えることは、怒りを否定的に捉えがちな日本人には大きな課題ではないかと語られた。
 怒りの表し方の3タイプには、怒りを感じても表せない「抑圧タイプ」、ささいなことで切れる「激怒タイプ」、自分の気持を適切に伝えられる「理想タイプ」がある。自分の怒りを受け止め、向き合い、何がいやだったのかを具体的に、適切なタイミングで、相手を責めずにIを主語に、アイ・メッセージで穏やかに伝えることが大事というポイントを紹介された。

多くのアンケートを頂きました。 原爆や戦争は個人の悲惨な体験がたくさん語られていて片寄った情報が伝えられているのだと感じました。怒りの大切さ。怒ることの難しさ。原爆を投下されたことに対し、米国に対し怒らない日本人に前から疑問を持っていました。日本の価値観と大きく関係していること。怒りには潜在的怒り、激怒、適切な自己表現としての怒りがあること。これからの多様性の時代にあたって、日本人の怒りとの付き合い方も変わっていくのだろうか?怒りより悲しみに重きをおくのは日本人独特だと知り、驚くと同時に改めて怒りについて考えさせられました。いろいろな文学を引き合いに出して日本人の性壁につき分析して頂き、大変参考になりました。(一部をご紹介しました)
 私自身の経験で「怒り」を表さず、誤解を与えてしまったことがあります。意思表示の一つとして明確に気持を伝える、その手段としての「怒り」があるのだと考えさせられる一日でした。
 戦後問題を取り上げる中、日本人の性格についての分析にも迫るテーマでもありました。氏から今日の多様性・グローバリゼーションの時代に「日本人はいかにして怒りを伝えていったらよいのか?」の問いかけに対して、私たち一人一人が向き合い考えていくのに参考になるよく分析された講演内容とヒントを頂きましたこと、会場の皆さまからの御礼の意味での大きな拍手が贈られました。

予告
本日のサロンの続きとしてシンポジウム「日本人の戦争との向き合い方を考える(仮題)」(2024年3月7日(木)午後6時30分)を予定しています。港ユネスコ協会のホームページにてご案内いたします。ご期待下さい。

(会員開発委員会 担当副会長 小林敬幸)