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Minato Unesco Association

イタリアオペラの風を感じて

2022年度 第2回国際理解講演会
「イタリアオペラの風を感じて」

渡辺大氏 オペラテノール歌手
渡辺裕里子氏 ピアニスト

日時:2022年10月29日 14:00~16:00
会場:港区立男女平等参画センター「リーブラ」ホール

 渡辺講師は明治大学を経て、東京藝術大学卒業、同大学院オペラ科修了。数々のオペラに出演、第九のソリスト、新国立劇場でのオペラの主役など、テノール歌手として幅広い活動をしておられます。

 奥様の渡辺裕里子氏はピアニストとして様々な活動を行っておられ、講演の所々で伴奏だけでなく解説もしていただきました。

渡辺講師が♬ヴェルディ「椿姫」の「乾杯の歌」(1853年)を歌いながら登場いたしました(本来は二重唱。尚、講演中の歌♬は一部抜粋)。始まりに講師が「オペラを全幕見られたことのある方」を聞くとかなりの方の手が上がりました。

「オペラとは」
 オペラとは「ドラマと音楽の融合した総合芸術」です。
 大きすぎる劇場ではマイクを使うこともありますが、ミュージカルと違い声は生の声です。声の高さや重い軽いにより、役割も決まっています。高い声のソプラノやメゾソプラノは主役が多く、重厚感のあるアルトは老女や女中。男声の高い声のテノールは花形ですが、テノールが失敗するとオペラそのものも失敗すると言われており、テノールの私はとてもプレッシャーを感じています。中音域のバリトンは色々な役をやり、悪い男や色男を演じ女性に人気があります。低い声のバスは偉い人や年配の人。テノールでも軽い声は、若い王子様などのキャラクターが割り当てられます。発声法も変化してきており、カウンターテナーなどが主流の時代からオーケストラが入るとベルカントへ変わり、ヴェルディやプッチーニ等さらにオーケストラが厚くなると(私がそう呼んでいますが)近代ベルカントでより大きな声になっていきます。

 オペラに携わる人は歌や合唱やオーケストラだけでなく、演出家(時代を置き換える演出もある)、舞台装置、照明、衣装デザイン、舞台監督、メイク、床山、衣装係、副指揮者などの音楽スタッフ等がおります。海外では音楽スタッフは劇場についていますが、日本ではオペラのための劇場は新国立劇場一つしかありません。

 オペラの歌は詩で出来ていて韻文です。それによりリズムが出来ます。舞台装置は「アイーダ」などは大掛かりで大きな劇場でないと上演できません。衣装も「椿姫」などかなり高価なものが使われたりします。これらにより観客は非日常の世界に引き込まれます。

「オペラの始まり」
 オペラは16世紀のフィレンツェで始まりました。ギリシャ悲劇の復興を目指したものです。初めは一人が一つの曲を歌うものでしたが、ヴェネツィアのモンテヴェルディが現れオペラの形を進化させました。 

「バロック時代」
 バロックとは「歪んだ真珠」の意味です。去勢された男性歌手が高音を出すカストラートが活躍。絶対王政の時代でオペラ・セリアと言うシリアス(真面目)なテーマが取り上げられ、王様を称えるオペラでは行列など大掛かりで大変お金がかかりました。アリア(独唱)の前で話を進めるレチタティーヴォと言われる台詞のような音楽が使われるようになりました。
♬ヘンデル「セルセ」より「オンブラ・マイ・フ 優しい木陰」1737~38

「モーツァルトの時代」
 「ドン・ジョヴァンニ」は1787年に初演されましたが、この頃市民が台頭しオペラ・ブッファと言う喜劇がオペラに登場します。これですと王様の話のように大勢のキャストはいらず、金がかかりません。脚本を書く作家も現れてダ・ポンテの三部作(「フィガロの結婚」など)が生まれました。

(渡辺裕里子講師)
 オペラが生まれた1500年頃は長調や短調はありませんでした。グレゴリオ聖歌は旋法で作られています。長調や短調が出てくると和音が作りやすく伴奏が出来てきます。モーツァルトは短い生涯で626曲を作曲しましたが、殆どが長調の曲です。「ドン・ジョヴァンニ」の序曲のように曲中に短調が使われることはありますが、短調の曲と言えるのは19曲のみで、父レオポルドが亡くなった1787年頃に集中しています。モーツァルトはオペラにオーケストラを密接に結び付けました。歌い手は楽器のように書かれたので歌うのがとても大変です。
♬モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」より「彼女の心の安らぎ」1788年ウイーン版改訂

「ベルカントオペラの時代」
 19世紀前半のパリで、ベルカント発声技術が進みました。ロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニ等が活躍しました。シンプルな伴奏ながらオーケストラが付きアジリタと呼ばれる細かく声を転がす発声が出てきました。「ロッシーニ・クレッシェンド」と言われる、同じようなフレーズを使いだんだん大きくなり盛り上がっていく技法が特徴的です。
♬ドニゼッティ「愛の妙薬」より「人知れぬ涙」1832年

「ヴェルディ万歳」
 19世紀後半、バラバラな都市国家の集まりに過ぎなかったイタリアの統一運動が始まり、ヴェルディ作曲「ナブッコ」の「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗せて」はイタリア第二の国歌と言われ、イタリア人であれば誰でも歌えます。祖国への思いが歌われています。ワーグナーはヴェルディと同い年。壮大なオーケストラが付き、途切れることなく続く音楽が特徴です。

ヴェルディやワーグナーのオペラになると、オーケストラに負けないよう大きな声だけでなく周波数を使い通る声が追求されていきます。

(渡辺裕里子講師)
 ヴェルディは、オーケストラを伴奏ではなく歌と一体としてのオペラに進化させました。
♬ヴェルディ「ナブッコ」より「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗せて」1842年

「ヴェリズモオペラの時代」
 殺し合いなど市井の話が題材になっていきました。音楽が激情的になり発声もドラマティックになります。「道化師」の「衣装つけろ」はレオンカヴァッロの作曲ですが、映画「アンタッチャブル」のアル・カポネのシーンに効果的に使われています。映画「ゴッドファーザーpart3」ではマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」が使われました。
♬レオンカヴァッロ「道化師」の「衣装をつけろ」1892年

「旋律の魔術師 プッチーニ」
 「トスカ」、「蝶々夫人」、「ラ・ボエーム」など、プッチーニは数々の大ヒットオペラを作曲しました。

(渡辺裕里子講師)
 オーケストラは伴奏に徹していますが、プッチーニは歌のメロディにオーケストラがユニゾンで被せてくるので歌い手には厳しいです。

 プッチーニやワーグナーはライトモチーフと言われる手法を使いました。ライトモチーフとは、映画「スターウオーズ」のダースベーダーの登場シーンで同じメロディを流すようなことです。
♬プッチーニ「トゥーランドット」より「誰も寝てはならぬ」1892年

「その後のイタリアオペラ」
 第1次世界大戦を経てイタリアオペラは途絶え始めます。映画などが盛んになるとオペラの売り上げは映画の3分の1になったと言われています。しかし、イタリアの音楽は映画やミュージカルの中で生き続けています。ニーノ・ロータの「ロミオとジュリエット」などが有名です。
♬モリコーネ 映画「ニューシネマパラダイス」より「愛のテーマ」

講演後、質問
Q:外国語など言葉の問題をどう克服したら良いですか?

A:そもそもオペラでは発声上高音は言葉として聞き取りにくい難点があります。そのため字幕が使われます。日本語のオペラでも、私が出演した三枝成彰作曲オペラ「KAMIKAZE~神風~」には日本語の字幕が付いていました。字幕を見ながらでも舞台に集中することは可能で、内容も良く理解できます。それとあらすじを予め読んでおくとそれぞれのシーンや展開が分かり易く、より鑑賞が楽しめます。

Q:80歳でオペラを習っていますが、発表会で自分の音域と合わない場合に音を下げて歌うのはダメでしょうか?
A:歌曲は移調して歌うことは構いません。しかし、オペラは移調するとオーケストラの楽譜も全て変えなくていけません。また、音域が変わると曲調が変わりキャラクターが変わる可能性もあります。先生が原調にこだわることも正しいと思います。ただ、それは主として公演などを行う場合の話で、個人として音域に合わせてオペラを楽しんで歌うこともありかなと思います。

(国際学術文化委員会 山田祐子)