2023年度 第2回 国際理解講演会
「パラオに残る日本語」
~ 日本統治の記憶と文化資源としての言語 ~
講師:今村圭介氏 東京海洋大学 准教授
日時:2023年月6月21日(水)18:30~20:30
会場:港区立男女平等参画センター リーブラ学習室C
主催:港ユネスコ協会
共催:港区教育委員会
後援:在日パラオ共和国大使館
冒頭、永野博氏(港ユネスコ協会顧問:上写真)から今村圭介氏をご紹介いただき開会した。続いて、クリスチャン エピソン ニコレクス氏(在日パラオ大使館 次席/公使参事官)からご挨拶を、芝村剛氏からパラオのご紹介を、その後、今村圭介氏からご講演をいただいた。
芝村剛氏(パラオ政府観光局 日本事務所代表)
パラオは真南に3000キロ行ったところで、時差はない。直行便はなく、グアム経由、もしくは台北経由になる。コロナ前は日本航空のチャーター便が飛んでいて、4時間半で行くことができた。パラオは小さな島国。島の数は586。人の住む島は9個。他は無人島。時差はない。公用語は英語、パラオ語。通貨は米ドル、人口は約2万人、面積は屋久島位、16州、親日的な国。
最近では、環境に熱心な国。ペリリュー島、アンガウム島は、日本とアメリカが第二次世界大戦で戦った場所。
2012年、「ロックアイランド群と南ラグーン」が、文化遺産と世界遺産の両方を兼ね備えた世界複合遺産に登録された。その中には、ミルキーウエイ、クラゲの湖などがあり、世界中でここにしか無いものを求めて、日本からの観光客にもお越しいただいている。
今村圭介氏(東京海洋大学准教授)
■パラオにおける日本統治の歴史
日本統治下の状況
・日本帝国が拡大して領土を植民地化していく中で、その一部に南洋群島があった。
1914年~1945年まで、ミクロネシアのほぼ全域が、日本の統治下におかれた。
・パラオは日本統治の中心地。南洋を統括する南洋庁が置かれていた。
・コロール島では、日本人の人口が、一時期、島の人口の8割に達していたので、住んでいる人達は、
どんどん日本化したのではないか。
・パラオ人専用の公学校で、日本語をたたき込まれ、日本語がどんどん浸透していった。
日本統治下の状況(委任統治)
・第一次世界大戦の開始とともに、ドイツからミクロネシアを奪った。
・1920年に正式に国際連盟より、パラオを含むミクロネシアの島々の全域を、日本の委任統治領に
することが認められたが、後に、日本は国際連盟を脱退した。
南洋における日本人人口
・サイパン、パラオ、ヤップ、チューク(トラック)、マーシャルでは、それぞれの島で発展の規模が
違っていた。
・サイパンは、製糖業の発展に伴って、日本人移民が多かった地域。ミクロネシアの中では一番多い。
パラオは二番目で、日本の影響がかなり強く、今でも残っている。
公学校教育
最初は、日本人と同じ学校へ行っていたが、そのうち、別々になり、日本人は小学校、ミクロネシア
人は、公学校に行くようになった。主に国語の習得が中心。
南洋における就学率。(1930年)(パラオが一番高い。)サイパン(82.32%)、パラオ
(93.61%)、トラック(31.21%)、ポナペ(91.61%)
■パラオに残る日本文化の影響
パラオの公学校の就学率が特に高く、日本語の基礎が習得された。公学校の他に、日本人家庭に
お手伝いに行く「練習生」制度の下で、日本語の運用能力を伸ばした。そのような日本統治の影響
もあり、遊び・スポーツ、名前、食文化、言語、音楽など、たくさんの分野に、今でも影響が及ん
でいる。野球は国技のように扱われていて、野球用語に日本語が入っている。
日本統治を経験した世代
パラオ人の人名:知り合いの日本人の名前を、自分の名前にしたなど。日系人も非日系人も。
例えば、
Sato-san(戦後日本語を話していないと、言われていたが、話してみると、しっかり受け答えが
できる)
Kingzio-san(沖縄系パラオ人。戦後も免税店で働いていて、日本人相手に話していたので流暢な
日本語が話せる。)
パラオの電話帖にみる日本語
名前の総数:3576名(2010年)
日本人名(姓 or/and 名)703名 19.65%
電話帖では、約20%の人が姓か名で、日本人名を持っている。
パラオ全体で日本人の名字が多い理由:
①日本統治時代に名字が浸透したため。名字が無い人が、戸籍や学校で名字が必要になり、他の人の
名字をとってきて付けた。それが今でも残っている。戦後になっても変えないのは、親日効果と思
われる。
②外の影響を受け入れる習慣
日本統治時代には、日本語の名前を付け、米国統治時代には、英語の名前を付けている。日本語名
は、少なくなっているが、まだまだ残っている。
③親族の名前を付ける習慣
日本人名が約10%残っているのは、親族の名前を付ける習慣があるから。祖母の名前をそのまま
孫に付ける慣習がある。
パラオに見られる日本の食文化の影響
スーパーを見ると、ARAREコーナーがあり、BENTO、RAMENなども売られている。TAMA(油パン)
は戦前からあり、今でも人気。自家製のKARINTONGは、日本ですたれているが、パラオでは残っている。
片仮名の使用
・日本の統治下で日本語(カタカナ)を習った。
パラオ語で手紙のやり取りや日記を付ける時には、カタカナで書く。
・選挙の投票用紙の例では、
カタカナ表記とアルファベット表記の両方がある。高齢者に配慮した習慣で、これも日本語の影響が
パラオ語にまで及んでいる例。
■日本文化に残るパラオ語の影響
例えば、「レモン林」「おやどのために」「パラオ5丁目」は、1950年代にサイパンで、小笠原出身
者がパラオの青年から習い、小笠原に伝えられ東京都無形文化財に指定されている。
■パラオに残る日本語
アンガウル州(島)における日本語
アンガウル州では、1946年から10年間ほど300人の日本人が燐鉱石採掘の労働者として住んでい
て、戦後も日本語の使用が継続していた。その影響もあり、戦後生まれの世代にも日本語使用が、一部伝
わった。
アンガウル憲法による公用語
・アンガウル州は、世界で唯一日本語が公用語と定められている。
・アンガウル州の公用語は、パラオ語、英語、日本語。
・アンガウル州では、日本語を話すのは当然になっていたので、迷うことなく、日本語が公用語になっ
た。現在、日本語を話せる人がたくさんいる訳ではないが、憲法には今も残っている。
パラオ語の中の日本語の借用語
戦前、生活語彙を中心に、さまざまな日本の語彙、表現1000語以上がパラオ語に入り、借用語の入る
意味分野でも、動植物、自然、場所、地名、住居、生活用品、食品、食生活、学校、運動・スポーツ、遊
び、娯楽、医療、衛生、服装、美容、商業など多岐にわたり、日本語の影響の大きさが分かる。
ミクロネシアの言語の日本語借用語数(上位10言語)
パラオ語(1201語)、チューク語(538語)、ポナペ語(412語)(中略)
チャモロ語(196語)、マーシャル語(188語)
(日本語の単語が入っているのは、パラオ語が一番多い)
日本語借用語の例
・習慣(Siukang):悪い習慣を排除する。お葬式の習慣。
・検査(Kensa):当時のパラオには、衛生の概念が無かったので、借用語が入った。
・選挙:戦後、選挙の制度ができたところに、パラオ語に日本語から借りてきた語が入った。
候補者(Kohosia)、電話(Dengua)
■文化資源として言語の活用
・文化資源とは、ある時代の社会と文化を知るための手がかりとなる、貴重な資料、総体(文化資源学会
2002)と定義されている。パラオ語の日本語借用語も文化資源となりうるもの。是非、これを活用
したい。その一環として、「パラオ語・日本語借用語辞典」を作った。 ・文化資源は、保存するだけの
ものではなく、その活用を推進することが望まれる。
「パラオ語における日本語借用語辞典」
・Palau Language Commission と共同で作成
・1000語以上の日本語借用語を収録
・パラオ語教育での活用例も収録
・500部印刷し、教育省を通じてパラオの学校に寄贈。
辞書の教育的利用
・どのようにして、辞書を活用するのか?言葉からパラオに残る日本の影響を学ぶことができる。
・現在でもパラオ語に残る日本語の影響を可視化し、辞典の教育的利用を推進することにより、パラオ語
に関する知識を深めるだけではなく、日本との繋がりの再認識に繋がると考える。
大使館の活動
世界各国に広がる我が国の大使館や総領事館では、対日理解促進や親日派の形成を目的として、外交活
動の一環として、きめ細かな日本文化紹介事業を実施している。
在パラオ日本大使館による取り組みにて、日本語借用語の研究が活かされている:
・パラオ人に日本を知ってもらうために。
アニメなどのサブカルチャーによる繋がりよりも、歴史的な繋がりの方が親日派の形成に繋がると思
われることから、日本語からの借用語を使ってのエッセイコンテストを行うなど、日本との歴史を共
有している。
・日本人にパラオを知ってもらうために。
日パラオ外交関係樹立25周年記念動画の取り組み(パラオ語における日本語借用語を紹介する動画)。
YouTubeで配信。視聴回数38万回(2023年5月時点)
Facebook、Twitterによる配信も積極的に行う。
本日のまとめ
・戦前の日本統治による文化的影響は、今なお、パラオに残る。また、パラオを含む南洋で形成された新
たな文化は、日本の一部に影響を与えている。
・戦前教育を受けた世代は、話し言葉としての日本語や、カタカナを継続して使用してきた。その影響も
あり、アンガウル州では、日本語が公用語となり、一部戦後世代にも伝わっている。
・戦後世代はほとんど日本語そのものを使うことはないが、パラオ語の中での借用語、人名・地名には、
現在も日本語起源のものが広く使われる。
・現在も借用語という形で残る日本語は、日・パラオ両国の親善のための文化資源として活用することが
できる。
最後の質疑応答では、参加者の中でパラオを訪問したことがある方が積極的に発言され、和やかな雰囲気の中、終了いたしました。
(常任理事 国際学術文化委員会 佐藤律子)