日本語 English
Minato Unesco Association

江戸城と東京の近代建築にみる「石文化」

世界を見よう!みなとUNESCOサロン for SDGs
江戸城と東京の近代建築にみる『石文化』
―温泉だけでない箱根・湯河原・熱海から―

講師: 加藤雅喜氏
【湯河原町史編纂委員、元土肥實平顕彰「土肥会」理事、伊能忠敬測量隊湯河原研究会代表、湯河原産「白丁場石」研究会代表、豆相人車鉄道実物保存会代表。 中央大学大学院修士課程修了、埼玉県高等学校教員退職後、湯河原に在住】

日時 : 2022年7月20日(水) 午後2時 ~
会場 : 港区立生涯学習センター3階 305室

 加藤雅喜氏の第二の人生の地「湯河原」から見えてきた「江戸・東京の『石文化』」ついて伺いました。埼玉での教員生活リタイア後に湯河原へ転居、そこで出会った「歴史の経糸と緯糸の探求」の話の会でもありました。冒頭、田部揆一郎・港ユネスコ協会会長の挨拶と講師紹介。その後、17ページの講師手作り資料を用い、教鞭生活でならした声で始まりました。

「石垣」、「築堤」のニュース
 令和三年は、「400年前の家康が築かせた江戸城初期の石垣発掘」、そして「高輪ゲートウエイ駅前で150年前(明治5年)に開通した蒸気機関車の海上築堤の発見」と「石垣」関連のニュースが話題となりました。

江戸城そして台場・鉄道・東京の近代建築へ
 小田原、箱根から真鶴、湯河原、熱海、多賀、伊東などの伊豆半島東海岸の石丁場(いしちょうば=石切場)から「伊豆石」、「小松石」、「白丁場石(しろちょうばいし)」が切り出され重用された。

①江戸時代初期=江戸城石垣、江戸の町埋立ての石は小田原~伊豆半島全体から。
②江戸時代後期=江戸城西の丸焼失の再建工事は、小田原藩だけが引受け。
③江戸時代末期=ペリーの「黒船」来航前から、緊急対応で外国船打ち払いの砲台としての(お)台場の建設で、
 江戸に近い真鶴~熱海の海岸線から切りだす。
④一度も火を噴くことなく開国・幕府崩壊で砲台は不要となり、台場石や大名屋敷の石などは「近代建築」や
 「鉄道」へ転用される。
⑤明治中期~大正末期=湯河原「白丁場石」が、渋澤栄一の「深谷レンガ」建築の補強隅石や腰高の壁面として
 使われ、近代建築に貢献した。

東京の近代建築における「白丁場石」
 湯河原梅園「幕山」の隣。火山灰が積もり固まった白色の石は、白の御影石ほど重くなく、強くなく、堅くない。粘りがあるから穴を開けても粘質でヒビ割れしにくい。薄く板状に加工するのが容易なので壁面を飾る石として重宝された。海外で西洋建築を学んで来た建築家達は、日本で産出しない大理石に似た石材として利用。日本銀行本店(右の写真)、横浜正金銀行(現:神奈川県立歴史博物館)、上野帝国図書館(現:国際子ども図書館)、復元前の三菱一号館など、多くが関東大震災で壊れたものの、今も見て触れることが出来ます。

研究の背景として「二人の人物研究」が役立ちました。

伊能忠敬測量隊
 日本地図製作のため測量をした伊能忠敬測量隊「測量日記」を読み解き、湯河原を3回通過したことを知る。1801年 : 第二次測量で吉浜村名主「向笠家」に宿泊。1816年 : 土肥実平子孫という門川村名主「富岡家」に第九次測量隊が昼食をとり、土肥一族墓地参拝したことを読み解いた。

 令和三年、箱根ジオパークガイドの渡部孟さんの「石切図屏風」についての研究で、「火災で焼失した江戸城西の丸御殿の再建工事の石材は、湯河原吉浜の名主『向笠家』が、小田原藩大久保の殿様に命じられて、海岸へ牛車で運び降ろし、船に乗せて運んだ。」とする論文にあるのは、1838と1839年のことだと、加藤氏が期間を限定された。

頼朝を助けた土肥実平(どひのさねひら)
 頼朝の旗挙げを助け信頼された「土肥実平夫婦の銅像」は、湯河原町民の誇りで、菩提寺の城願寺が残り、『鎌倉殿の13人』でも話題の土肥実平。実平を顕彰する「土肥会」への協力で、土肥祭・武者行列・「焼亡の舞」等を10年余手伝い、さらに土肥氏子孫の三原小早川氏や、深谷の新開氏から富山・金沢・阿南・橫手へという調査は、芭蕉や忠敬の歩んだ道でもあり、それにより「測量日記」の横繋がりの研究ができたといいます。

むすび
 加藤氏が教員時代から開催して来た公開講座のテーマは、私淑していた「旅する芭蕉」。これに「忠敬」を照らし合わせ、湯河原で出会った「実平」も重ねてみると、いずれも第二の人生を懸命に学び生きたことから、加藤氏も自己の第二の人生は「郷土の人物と石文化」を後世に伝えることだ、とお聞きしました。

「歴史の現場に行ってみよう!」歴史の名著を「声を出して読もう!」という現場主義を重視し、その精神で歩き、文献を読み解くという「歴史の経糸・緯糸の歴史観」をリタイヤ後も実践し自己実現されたことに敬服しました。町に働きかけ、「伊能忠敬測量隊」の石碑を3本建立させたことも、歴史を学ぶ次世代に史実を伝えようとする人にとって、大きな成果だと思います。今後の活躍は、加藤氏のブログでご覧いただけますので検索ください。 
検索 「酒場で歴史を語る会」 060636.blog24.fc2.com/

(会員開発委員会 担当副会長 小林敬幸)