2015年度港ユネスコ協会シンポジウム
テーマ
気候変動時代の水害と水不足
日時:2015年12月9日(水)18:30~20:30
会場:港区立麻布区民センター・ホール
パネリスト
基調講演:高橋裕氏
東京大学名誉教授日仏工業技術会会長日本国際賞(2015年)、クリスタルドロップ賞(2000年)
著書:「国土の変貌と水害」「川と国土の危機」(岩波新書)など。
森下郁子氏
河川学者一般社団法人・淡水生物研究所所長、環境省自然環境保全審議会委員、東京都地下河川構造検討委員会委員など歴任。
著書:「川の健康診断」(毎日出版文化賞1977年受賞)、など。
沖大幹氏
東京大学生産技術研究所教授気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第5次報告書統括執筆責任者。
著書:「水危機ほんとうの話」(水文・水資源学会学術出版賞2013年受賞)、など。
コーディネーター:永野博港ユネスコ協会副会長
高橋裕氏
気候変動というのは、日本に大きな影響がある。島国として臨海部の開発に力を入れてきたが、50年、100年先を深刻に考えないといけない。開発規制をどうするのか、人間をどうするのか?
川や水のことを考えるとき、日本人の自然観が重要になる。気候変動はグローバルな問題だが、それぞれの国が水害や水不足にどう対応するかは、自然観によって大きく左右される。
枕草子を読むと、清少納言が川や雪といった自然の変化プロセスをよく観察していることが分かる。
万葉集や古今和歌集など、名だたる日本の古典には川や雪、雨のテーマが多い。一例を挙げると、山部赤人「田子の浦ゆうち出でてみれば眞白にそ不尽の高嶺に雪は降りける」英訳は、”Comingout/fromTago’snestledcove,/Igaze:/white,purewhite/thesnowhasfallen/onFuji’slofty peak”(リービ英雄訳)。
自分が動くことによって、見えなかった壮大なものが見えてくる、その視覚的驚きを訳すのにリービ英雄氏は大変苦労したと聞く。
武田信玄は治水の傑作と言われる信玄堤を築いた。私の想像では、信玄は釜無川と御勅使川の合流点へ度々足を運び、出水前後の河床変化を読み取る感覚を身に着けたに違いない。
鷲尾蟄龍氏(1894~1978)は急流河川の神様と呼ばれた方で、私の先生。富士川の砂防ダムに連れて行って頂いた。
土砂群の堆積から、その土砂の経歴を読むことが出来た。
安芸皎一氏(1902~1985)は河相論という新しい河川哲学を提唱された先生だが、富士川所長時代は毎日必ず管内の河床の動きを観察しておられた。
橋本規明氏(1902~1969)は、常願寺川に卓抜な治水を施した。常願寺川は、日本で最も厄介な川の一つ。急流でしかも大量の土砂を常に流す。
同じ川の上流に立山砂防を建設したのは赤木正雄氏(1887~1972)。日本には名治水家が沢山いる。
これから迎える気候変動時代という大変な時代にどう対処していくか?これまでの日本人の河川観を教訓とし、自分の河川観を築くことが大切である。
治水はハードとソフトをいかに調和させるかがポイントとなる。
例えば信玄堤を築いた信玄は、堤の上流側に神社を移設した。すると住民は参道となった堤防を大切にする。
徳川時代の治水奉行には、住民に協力させる知恵があった。
明治以後、ハードの技術がたいへん進歩したが、ソフトが少し鈍ったようだ。ソフトをどう考えるかがこれからの課題だと思っている。
森下郁子氏
気候と水に住む生物について話したい。
先月「長江と黄河」という本を出した。黄河は土木の研究材料が豊富であり、長江は生物学者の研究材料を提供する。黄河ではダムを作ったら、水を全部取ってしまい、下流には一滴も流さない。一方の長江では、ダムを作っても下流に配慮する。川の違いから民族の文化も異なり、これが中国の分かりにくさに象徴される二面性だろう。
私たちは黄河の方が歴史もあり価値あるものが多いと感じているが、現在は長江周辺から古い遺跡が見つかって優位に立っている。
気候が変わると生物の種類も変わる。黄河と長江は東へ流れるが、メコン川は南へ流れ、すべての気候帯を通って最後は熱帯のベトナムでメコンデルタを作る。長さはほぼ同じだが、メコン川の生物の種類が一番多い。
日本の川は短く、淡水魚の大きさは平均12.3cmであるのに対し、世界一多様性が高いといわれるアマゾンの魚は平均2.3cmである。
唐辛子は寒いところに行くほど長くなり、辛くなくなる。魚も熱帯に近付くほど小さくなり、数が増える。
メコン川で一番大きい魚は4mになるし、アマゾン川でも4~5mの魚がいる。
報道でも大きな魚を紹介するので錯覚しがちだが、これらは何百もの小さな魚が支える頂点に君臨する魚である。
ミシシッピ川やボルガ川は一番高い場所でも300mだが、黄河、長江、メコン川は5,000mから7,000mという高いところから一気に降りてくる。
寒い時期には川が凍るので、魚はどうするかというと、鱗がなくなり冬眠する。
川は文化につながり、文化はまた川をどう支配するかにつながる。
日本では洪水が来たら人間が大変!だが、生き物は洪水がないと生きていかれない。渇水対策でダムを作ると、いつも水があるから生物の多様性がなくなってしまう。
人間にとっては水害・渇水のコントロールは一つの技術だが、そこに水の持つ文化を加えて頂いて、程々のところで折り合って野生生物と生きていく社会を土木の方に構築して頂きたい。
沖大幹氏(パワーポイントを見ながらのお話)
*今パリで開かれているCOP21に対して、そこで気候変動に関する科学的知見を集め評価報告書を提出するIPCC(気候変動に関する政府間パネル)で報告書のとりまとめをしている。
これは昨年横浜で開かれた総会での、質疑応答場面。各国からの意見を受けて計量的表現を消していき、「産業革命前に比べて2℃くらいまでの気温上昇なら、GDP比0.2%から2%くらいの経済的損失が生じるだろう。」という記述が残った。
パリでは2%目標が論じられている。IPCCは温暖化を煽っているだけじゃないかと思う人もいるかもしれないが、よく読んで頂くとまっとうな事が書いてある。気候変動はどんな影響があるの?どんな深刻さなの?という問いへの答えは、セクターによって、また従事する仕事によっても異なる。リスク認知や、どれから手をつけるのかという優先度も、価値観や目標によって違う、ということが書いてある。
*温暖化を元から絶つという「緩和策」と、避けられないのであれば被害を最小限にという対症療法としての「適応策」のバランスが求められる。
クリーンエネルギーにすると、大気汚染も減らせるし、健康悪化も避けられる。これが「両得」。
反対に、バイオ燃料の使用やダム建設は、温暖化対策としては良いかもしれないが、生態系に悪影響を及ぼす懸念がある。統合的水資源管理(IWRM)、自然災害リスク管理(DRM)、持続可能な開発(SD)と気候変動への適応策は統合されるべきである。
*温暖化にはどんなリスクがあるか?高温で亡くなる方も増えるだろうし、沿岸の低地や小島嶼開発途上国では海面上昇や高潮の恐れがある。
パリのCOP21で1.5度目標を考慮することになったのは、一番高い場所でも2mしかないような島嶼国は2度の温度上昇となると大打撃を受けるからだ。
道路や電線、水道などのインフラが破壊される可能性も高くなる。また、一番深刻な被害を受けるのは貧しい国、貧しい人々である。
*アメダス観測値に基づく雨の強さと日平均気温の関係を表すグラフを見ると、気温が高い日には強い雨が降り得ることが分かる。気温が1度上がると、大気に含まれ得る水蒸気量はおおよそ6~7%増えることから、日本における夏の「ゲリラ豪雨」はこれから増えると想定される。
*「X年に一度の豪雨」に着目すると、20世紀には100年に一度だった豪雨が、21世紀には300年に一度となる、といった変化の恐れがある。
*「洪水頻度と低水流量の将来変化」という図によると、日本、とりわけ西日本は洪水頻度が増加し、乾燥化が進むことが予想され、踏んだり蹴ったりである。
*では、どんな対策をすれば良いのか?どんなに雨が降っても、そこに人が住んでいなければ被害は生じない。
つまり、人間社会の側でも考えよう、社会の弱い部分を補強することでリスクを減らそう、というのが最近の考え方である。
*水分野の適応策にはどんなものがあるか?治水推進、早期警戒システムの整備、雨水貯留、海水の淡水化、水輸送など色々考えられる。ただし、治水対策によって生態系に悪影響を与えるとか、淡水化にはエネルギーが必要で却って温暖化に悪影響を与えるという面もある。
*100年に1度と思っていた豪雨が30年に一度の頻度で降ることになれば、堤防もそれに応じて高さの水増し(気候変動プレミアム)が必要となる。過日の鬼怒川の堤防決壊も、もう少し高さがあれば、という箇所で起こった。温暖化しなくても有効な政策を、後悔の少ない政策「LowRegretPolicy」と呼ぶ。
*1,000年に一度の津波も起こり得る、堤防が壊れることもあり得るというのは、分かっちゃいるけど表立っては言わなかった。
しかしこれらを考慮したうえでハードとソフトのバランスを取る時代が来ている。
鬼怒川の堤防決壊は40km2に被害をもたらした。一度に40km2の浸水というのはさすがに広過ぎるので、これを10km2、あるいは5km2で止まるような、2枚腰、3枚腰の都市計画で受け止めることが望まれる。
あと一つ、あれだけの水害にもかかわらず、亡くなった方は少なかった。こういう仕組みを検証して途上国の対策に役立てるのも、日本の役割だと思う。
永野:日本人は挨拶する時、気候の話をするが、これは日本人に特有なのでしょうか?日本人の河川観と関係ありますか?
高橋氏:どこの国でも天気予報は出すが、日本のものは大変きめ細かい。日本の自然は変化しやすく微妙だから、丁寧な天気予報を要求するのだと思う。
永野:日本人は多様性について包容力があるようにも思うが、さきほどのお話では問題があるようでもある。
森下氏:水田で生計を立てる民族にとっては、水がなくなることが一番怖い。周りを見回して同じような考えをする人たちを長い時間かかって作り出したのではないかと、生物学的には考える。
他人のことを考えない個性豊かな人が育つのはやはり牧畜民族。共同体として皆で仲良くやりましょうというのが、水耕農民の末裔だと思う。
私が学生の頃、北海道には水田がなかった。ところが今、水田が増えて台風に度々襲われている。たかだか50年、60年だが人間の営みが起こした気候変動があるのではないか。
永野:常総市の話が出た。インドでもサイクロンの被害が出ている。私は下町生まれだが、キャサリン台風は経験していない。自分のところが被害に会わないと、真剣に考える余裕がないというか、考えなくてもすんでしまうようだ。
沖氏:水害の心配をしなくてもよくなったのは、日本社会が豊かになって状況が改善したお陰だ。
今日は水の話だが、日本には地震もあるし、火災もテロも怖い。インフルエンザなど感染症が広まる恐れもある。
これら全部に気を配って暮らすのは大変だ。どこかで火山が爆発すれば、火山の心配をし、洪水があれば水害の心配をし、我が事のように考えて少しずつ自分の準備をするのが現実的でいたしかたないのではないか、と思っている。
質問1:気候変動にからんで、水不足が世界的問題になるのではないか?2050年には人口が90億を超えるという。20世紀は資源をめぐって戦争が起きたが、21世紀は飲み水や農業用水をめぐって争いが起きるのではないかと危惧している。
争いを防ぐ国際的仕組みを望みたいが、その前提として、地球上のどこに水が分布するかを把握するシステムが必要ではないか。
沖氏:2050年の世界人口は90億と予想される。これから20億の増加なら、何とか対策可能なのではないかと考える。
水の分布については、まず各国が水のデータを把握する必要がある。降水量を測る、河川の流量を測るのは地味な作業で、お金がなくなると止めてしまう。日本は明治に入ってすぐに雨量計を置いて気象観測を始めた。しかし国によっては1950年のデータがない。気候がどう変化したかが分からない。現在我々が得ているデータは、50年、100年先になって役に立つもの。人口衛星を使って雨量や雨雲の移動の様子を知ることが出来るが、途上国によっては技術がない。日本、米国、欧州、インド、ブラジルなどの衛星を組み合わせて世界中の雨量を観測し、インターネットで配信するシステムが出来ている。
もう一つ紹介すると、2つの衛星を並んで飛ばす。互いの距離は200kmくらいに、レーザーで間を計る。何か重いものがあると、重力が強いので少し下がり、間が短くなる。逆に重力が軽いところに行くとちょっと離れて間が長くなる。この差が10マイクロメーター、髪の毛の10分の1くらい。
重力の差を計ってどうするのか?気圧、海面、地下水、雪の変化が分かる。グリーンランドの氷が溶けている様子、アマゾン川の水が雨季と乾季で変わる様子も計ることが出来ている。あとは、人間がどこでどれだけ取水するかのデータ収集が必要。
質問2:隣国として、中国の水問題が日本にも波及してくるのではないかと心配している。
森下氏:先日、南水北調の運河が通じたので見に行った。北京と上海、広州との高低差が2mしかない。それで調整のため、東平湖で2mのかさ上げをした。東平湖は周囲278kmで琵琶湖より大きい。人力で工事して、あっという間に出来た。中国は技術で解決できることは何でもやってしまう。
ただ、技術で解決する部分と、本来の文化で支える部分との調和がまだ取れていない。あの中国のことだから、いずれは調和が取れるようになると思っている。技術と文化がどれくらい協調しながら進むか、これは土木が抱える一番難しい、また急いでやらないといけない問題ではないか。
今、瀬戸内海でも琵琶湖でも、水質が良くなり過ぎて魚の生産量が減少してきたという現象がある。
せっかく下水道水を3次処理までしているが、どこかで処理をフリーにしないと牡蠣も出来ない、海苔も出来ないというところまで、実際に来ている。
水質の汚濁をどこまで許容できるのかという文化的な部分が全く欠けていた。生物が生きているという文化の部分を、どこまで技術の上にバランス良く乗せられるか、によって自然の恩恵に浴することが出来るか否かが決まると思う。
質問3:昔の人は遊水地を利用した洪水調節を行ったし、もともと川の下流は流れが変わりやすく洪水を起こしていたと思う。どんどん人が住んでいって、今では災害が起きたときに逃げ場がなくなっている。下流に住む人に「ここは危ないから高台に移りましょう」とか言うのはダメですか?
高橋氏:川を溢れさせないという治水方針できたが、そのマイナス面が今出てきている。生態系的にも治水対策上でも、中小洪水は時々あった方が良い。
明治以後、人口が増えて都市に集まってきた。長い目で見ると、洪水の起きやすい場所に人が移ってきた。人が増えると水が必要だから地下水を汲み上げて、海面より低いゼロメートル地帯を作ってしまった。短期的には良いことが、50年、100年単位で見ると却って悪いことが非常に多い。
洪水常習地など危険地域、は開発規制すべきだと私は思うが、自由を束縛するとか所有権の問題のため出来ていない。場所を限ってでも、それが出来るようにすべきである。ただ水害を防げば良い、ではなく、治水対策に人の住まい方も考慮して少しずつそういう方向に持っていってほしい。
沖氏:都市計画とか土地利用による適応策も有効だとして、IPCCでも評価されている。危険なところには住まないようにする方が、ハードを作るよりお金がかからない。ただ、住んでいるところから無理やり移れというのは難しい。あなたの命が危ないからと言われても、これまで大丈夫だったし、100年に一回だし、もし災害が起こっても自分は大丈夫と思うのが普通の心理。ただ、日本は人口が減少するので、減るのに併せて徐々に、危ない処には出来るだけ住まないようにしていく土地利用の誘導ができるのではないか。便利に効率よく、しかも安全にと欲張って、50年、100年後の日本をこうするのだという計画を作るべきだと思う。建築規制が一部で始まっているが、私の記憶ではまだ全国で4市町村くらいしかやっていない。
永野:港区や東京都に対して、こんな事やったら良いのではないかとか、ご提案がありましたら。
沖氏:港区には高い所と低い所があるので、豪雨時には短時間かもしれないが水に漬かる可能性が常にある。うちはマンションだから大丈夫と思われるかもしれないが、地下に変電施設や貯水槽がある建物が多いので、防水、水密性を確認しておくことが大切だ。また避難勧告が出たら、外れるかもしれないが、とりあえず安全を確保することも大事。
森下氏:港区は「春の小川」の故郷なので、川とは仲良く付き合ってこられた地域。この文化がこれから先、生きる時代が来るのではないかと楽しみにしている。
高橋氏:行政も防災のためにいろいろ手を打っている。しかし防災マップをせっかく作っても、今回の鬼怒川の被害地域の一部には配られていなかった。配布しただけの所も多い。
全国でも、ハザードマップの読み方が理解出来ない人が多いのではないか。海抜何メートルという表示が随分東京では増えたが、設置すれば終わりではなく、読み方や意味を伝えることは出来ないか?
せっかくの情報を有効に使えるようにしたい。自分の家から駅までの道だけでなく、周辺についてもどこに何があるか、また地元の水害の歴史も知って欲しい。